小学校の教科書で出会った小さな物語。

「なぜ山に」と問われるとうまく説明できないのが常だが、私が初めて「まだ見ぬ場所への憧れ」を抱いたのは、 いつだったかと問われたなら、間違いなくこの物語に出会ってからだと、今なら言える。

「今なら～」というのも、しばらくはこの物語のことは記憶の奥深くに潜んでいたからだ。

それは「旅」へのものではなく、自分の足でしかたどり着けない場所への憧憬。
路のなき向こうへ行くことを選んだ彼の思考への驚きであった。

小さな出会いが歳月を経て自己形成の発端となっていることを知る。
おそらく、私だけの経験ではあるまい。

言葉が、時を経て人生に影響を与える。
まさに名作だ。

地図を見るのが好きだった。そういう子供だった。

地図帳はもとより、道路地図、白地図。ことのほか日本地図が好きだった。
そうして、その情景を想像するのが楽しかった。

とある地図に＜∴ガンガラシバナ＞（∴＝奇勝名勝のマーク）を見つけた時に私はその不思議な名に思いを馳せた。
いったいこれは何なのか。どういう場所なのか。
もちろん、ネットなど無い時代。知る大人はいなかった。

私が大内尚樹さんを知ったのは、「秘境」というキーワ－ドからだ。
別冊太陽「日本の秘境」（大内尚樹　編）でガンガラシバナを知り、本著「山へ」に出会った。

山と人生、人の想いと登山を重ね合わせた紀行に引き込まれた。
山行にいたる経緯や源泉、衝動。その表現に惹かれたのだ。

探求者の喜び、仲間との絆。そして内面を抉るリアル。
重厚な一冊だ。

好きな山域と聞かれたら、私は迷わず「南会津」と答える。
多くの人が「北アルプス」「南アルプス」を推すだろうが、
渋好みの私にとって迷うことない。

南会津を知るにつれ出会ったのが浦和浪漫山岳会の存在と本書である。

シンパシ－を感じた。理由などない。
感性に惹かれたのだ。

情景が目に浮かぶ。
その森で夜を過ごしてみたいと思ってしまった。

そうして、自分の物語は始まるのだ。
理由なんて、それで十分なのではないか。

自分を「登山家」（アルピニスト）と名乗れるだろうか。
「趣味」という背景、その力量、心構えにおいて、彼らと同じく語ることなど、できる筈もない。

それでも様々なエピソ－ドから「心の襞」を読み取ることができるからこそ、森田勝さんは語り継がれるのだろう。
つまり、彼も私たちも登山家である前に人間である、ということだ。

彼の山への想いと執着には類まれなるものがある。我々に語る間隙もない。
しかし、それにまつわる稚戯、悲哀は、どこか私たちの身に覚えもあったりするところが、愛おしいのだ。

谷川岳へのクライミング行にあたり、いつも彼等の足跡を思い出す。
言動の是非ではなく、彼らの生きた時代を追憶する。

その舞台の末席に立てる。
こんなうれしいことはないのではないだろうか。